34歳、独身、彼氏ナシ、子宮体癌闘病日記

34歳で子宮体癌デビューの闘病漫画ブログ

子宮体癌闘病記その29、やはり色々複雑な気持ちになる事なので、長々と思いを書かせて頂きます。

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今回ももう少しだけ

子宮体癌が再燃した時の気持ちのお話をさせて頂きます

ハッキリとした答えの出る事柄ではないので、

文章もハッキリしていない上に長いです。

お時間ある方はよろしければお付き合い頂ければ幸いです。

 

前回も書いたように、

子宮摘出手術に切り替える事に迷いは無かったのですが

1つひっかかる事がありました。

 

それは

「私はいいけど、周りはどう思っているだろうか」

という事です。

 

まぁ…おそらく周りは私が良いと思ってるなら良いと思ってくれているのではないかなぁ…と、思ったのですが…

 

かと言って自分から聞いて、周りの人にどう思ってるか言わせるのも違う気がして、気にはなるけど聞かなくて良いな、と、思っていました。

どう思うか聞いたところで、摘出手術を受ける事には変わりないですし。

ここは、「私は手術します!」とだけ言えば良いな。と思っていました。

 

そんな時、病院の帰り道に母が「お母さんは取った方が良いと思ってるよ」と言ってくれたのです。

正直、他の誰でもなく、母に言って欲しかった言葉でした。

もしかしたら、出産できなくなることを母は残念に思っていないだろうか?と、不安だったので、母から言ってくれたことでスッと心が軽くなりました。

とても有難かったです

 

 

私は、自分も親に産んでもらって、いつか自分も子供を産むんだろうなぁ…と、昔から漠然と思っていました。

しかし、出産は相手に恵まれないとできません。

そのお相手に恵まれず、その上私には自分からお相手を見つけようという気力も無かったのです。

結婚適齢期の頃、私は恋より漫画家になるという夢の方が大事でした。

恋人に気を配る時間と気力があるなら、その時間も全部漫画描く時間に充てたい、と思って過ごしてきました。

今全力で頑張らないと、後悔する。恋愛も結婚も出産も、もっと後でよい、と思っていました。

 

やっと結婚と出産を考え始めたのは、

自分の限界を感じ、漫画家の夢を諦めかけた三十代前半頃でした。

本当に子どもが欲しければ、今からかなり頑張っても一人授かればラッキーなくらいだな、と呑気に思っていました。

その時は、自分がまさか病気になるなんて微塵も思っていませんでした。

むしろ、自分の健康だけは自信すらありました。

だから、「37くらい迄に産めたらいいな」と偉そうに考えてしまっていました。

それがどれだけ大変な事かも考えず、テレビでアラフォーで出産された方達のニュースを見聞きして、「私もきっと大丈夫」と思ってしまっていました。

 

そんな時、この病気になりました。

 

今なら、自分の考えがいかに甘かったかわかります。

同時に、自分に本気で出産したいという気持ちが無かったのかもしれない、とも思います。

私は自分の事なので、どんな状況でも自業自得と納得できますが

両親や祖父母に孫がいるという景色を見せてあげられなかった事だけは本当に申し訳なく思っています。

かと言ってその事を「ごめん」と謝るのも何か違う気がします。

強いて「ごめん」を言うとするならば、

結婚適齢期に家庭を持つことに興味を持てなくてごめんなさい」

でしょうか。

あ、あと、

結婚適齢期を犠牲にした上、たくさん支えて貰ったのに、夢を叶えられなくてごめんなさい」

もですね(´-ω-`)

 

三十代後半でも出産される方がたくさんいらっしゃる中、

それでもやはり、病気のリスクが上がる年代でもあるという事を

しっかり自覚するべきなのだな、と、今は思います。

 

なんだか何が言いたいのか分からない事を長々書いてしまっていますが…

 

とにかく、「こうなりたい、こうしたい」がハッキリしていて、

それに対して今すぐ始められる事があるならば、

今すぐ始める方が良い。人生は何が起きるか分からない。

という事をこの病気から学びました。

 

皆様もどうか納得の行く選択をして過ごされますように。

 

次回からは、子宮摘出手術についてのお話をさせて頂きます。

長文を読んで下さってありがとうございました。